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沿革

初代・鈴木銀二郎(29年没)は、明治35年、東京は神田松永町にあった平田勲章工場(安土桃山時代の飾り金具・貴金属加工職人、平田道仁の流れを受け継ぐといわれる由緒ある工場)に勤め、15年間にわたり修行を重ね技術を習得しながら、勲章の分野に貢献してきました。


大正6年5月、独立し、同じく神田松永町に鈴木製作所を創業。主に平田勲章工場の下請けとして、勲章、メダル、徽章、社章・バッジなどの製作に専念し、その技術と研究は当時から高く評価されました。


昭和2年3月、貴金属装身具の紳士用ネクタイピン・カフスボタン、婦人用ブローチ・ネックレスなどに製作の主体を移し、装身具の分野においても、デザインと技術的要素を巧みに組み合わせた品位ある製品を数多く生産、メーカーとして成功を収め、装身具業界において名声を博しました。


昭和16年12月、大東亜戦争勃発に伴い、非鉄金属の使用を禁じられ、一部の製品を除いて軍需品関係の製造工場として転換を余儀なくされました。


昭和20年3月10日、空襲により工場と家屋を焼失しましたが、同年10月、名称を鈴木徽章工芸品製作所と改め、文京区根津片町14番地にて新たに事業を再開しました。


昭和32年5月1日には名称を鈴木徽章工芸株式会社と改称し、現在にいたる母体が確立されました。


昭和34年10月20日には文京区弥生2-12-1に移転。


昭和42年、事業規模拡大により5階建て本社ビルを建設するとともに、文京区弥生2-12-2に4階建て工場を建設しました。


昭和30~40年代、カラーテレビはじめ家電製品の全盛期には、日本コロムビア、東芝、NECなどのマークが生産の主力となりました。


現在、諸官庁、企業、神社、スポーツ団体、学校などを主要取引先に、メーカーという立場上、特に七宝焼きと塗装焼き付けの研究に励み、金・銀・ブロンズ仕上げの優れた品質は、当社が誇る技術として業界内でも高い評価を受けています。


近年、取引先の要望が多様化するなか、金属のみならずその他の素材(樹脂・漆器・陶器・木製品など)を用いたオリジナル製品の企画・開発・生産にも注力しています。
社員一同、これからも取引先各位と喜びと感動を共有できる製品づくりに邁進していく所存です。

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